奥村組土木興業株式会社

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プロジェクトストーリー

02新名神高速道路 川西インターチェンジ
建設プロジェクト

山を削り造り上げた川西インターチェンジ。
「土」と闘い、5年10ヵ月を経て完成させた。

様々な困難にも決してあきらめない
多くの人と力を結集させた物語

【新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト】

新名神高速道路は、名古屋と神戸を結ぶ約174kmの大動脈。奥村組土木興業では土工2現場、橋梁下部工3現場、舗装2現場に携わった。その中の一つが川西インターチェンジの工事である。総延長1,411m・土工2,460,000㎥・橋梁下部工24基・ボックスカルバート3基・のり面工・排水構造物工・はく落防止対策工、補強土壁工等を施工。現場では約220万㎥の土を場外搬出する大規模土工事を施工。発注時の計画を上回る土砂搬出となったため受け入れ箇所、数量が大幅に変更となり、最終的に場内に約60万㎥の土の仮置き工事を実施。最終的に21万㎥の土砂受け入れ先を確保し、無事工事を乗り切ったのだった。

川﨑 雄介
環境開発本部 本店工事部 工事課(当時)
現在:購買部 部長
川﨑 雄介
1992年入社、教育学部特別教科卒業。新東名・新名神高速道路という、我が国の大動脈の建設工事に携わる。高速道路の主要工事であるSA、JCT、ICの3つを担当した人物。
新名神高速道路

サービスエリア、ジャンクションに続き、
インターチェンジと
3つの主要工事に従事。

新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト1

日本を縦断する大動脈、東名高速道路と名神高速道路。この2つのバイパスとして新東名高速道路と新名神高速道路の整備が進んでいる。大阪を本拠地とする奥村組土木興業にとって、特に新名神高速道路の工事受注は、悲願でもあった。その時のことを思い出し、川﨑雄介はこう話し始めた。

「新名神の工事を初めて受注できた時は、社内が沸きました。私はその担当ではなかったのですが、会社の一員として非常に喜んだのを覚えています。」

中途入社である川﨑は、従事した現場の半数以上がNEXCO(旧日本道路公団)の仕事だった。30代の時から新東名高速道路の工事にも携わっていた川﨑に、新名神高速道路・川西インターチェンジ(以下、川西ICと略す)での仕事が命じられたのは、平成24年(2012年)のことだった。

「実は以前、新東名の浜松サービスエリアと豊田東ジャンクションの工事にも携わっておりまして、今度はインターチェンジの現場になって、『おっ、これで高速道路の主要な土工事3つが揃ったな』とうれしくなりましたね。3つ揃ったから何なんだ?というのはありますが、たぶん他には誰もやっていないはず(笑)」

今回の着手した川西IC(兵庫県川西市)は土工事の他、橋台・橋脚などの橋梁下部を築造する大規模工事だった。
現地に赴いた川﨑は最初に「民家が近い」ということを感じた。

「川西ICは、山を削って道路を造る工事です。それにしては少し民家が近いのが気になりました。山を削った土はダンプトラックで運ぶのですが、それを地元の方にしっかりと説明する必要を感じました」

地元との説明会に参加した川﨑の前に、山を削った時に出る土砂の処分という問題が立ちはだかろうとしていた。

最大で1日175台のダンプトラックが走り回り、
約3年かけて、
大量の土を運び出す。

新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト2
新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト3

「本来の道路工事は、山を削り、それで出た土にて谷を埋めてまた道路を造ります。場合によっては隣接する工事へ土を運びだします。どちらにしても『土のやり取り』を行うわけなのですが、この現場は最終的に220万立米という、かなりたくさんの土を動かさなくてはならないわけです。」

余剰となった土を処分しない限り、工事は進められない。川﨑は川西ICの工事現場からの土の搬出に頭を悩ませることになる。

「NEXCOさんと一緒に、自分たちで土を受け入れてくれるところを探し回りました。兵庫県三田市の土地区画整理事業や、京都府亀岡市のサッカー場建設工事現場など、最終的に18カ所に土を持って行きました」

受け入れ先が決まったからといって、全く安心はできなかった。受け入れ先まで、どうやって土を運ぶのかが、新たな問題となった。

「ダンプトラックの手配と管理が大変でしたね。一番多い時で重ダンプトラック(最大積載量30tを超えるダンプトラック。公道は走れず、工事現場内で使用される)も含め175台のダンプトラックが走り回っていました。それを手配するだけでも大変で。他の工事とバッティングして必要な台数が集まらないということもありました。いろんな会社に相談して、常時100台以上のダンプトラックをかき集めました。事故を起こさないように安全管理面も注意しながら、協力会社とずっと打ち合わせしているという状況でした」

このような土を運び出す作業に、全工期5年半のうち、おおよそ3年の月日が費やされたのだった。

土を運び出せない!
それでも期限厳守はピンチ!
土を運び出せない!それでも期限厳守はピンチ!
工期を救った、その解決策とは…。

新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト4

1日最大175台のダンプトラックを使った搬出に続いて、再び「土」の問題が、川﨑の前に立ちはだかった。

「インターチェンジの場合、高速道路に出入りするためにランプ・ウェイが必要ですが、今工事では最初にその橋脚を造るために山を削らなくてはなりません。こちらの土の量は60万立米ほど。私どもは、その橋を作る橋脚をやっていて、道路となる上部工は別の業者さんが担当されています。当然、その業者さんに引き渡す期限は決まっているのですが、工事当初は土を受け取ってもらえるところがほとんどなかったため、その期限が守れそうになかったのです。それでNEXCOさんに相談に行きました」

引渡し期限を延ばしてもらう以外に、手立てはないのか。川﨑は単に「お願い」するだけでは不十分と考え、期限を守るための別案も準備しておいた。

「運び出せないなら現場の中に『土砂の仮置き場』を設置し、そこに土砂を置いておき、受取先の準備ができたら搬出する案です。インターチェンジは現場の面積が広く、置き場所を作ろうと思えば作れるのですが、その分、コストが別途、必要になってくるため、私はこの案を採用していただくのは難しいだろうと思っていました」

ところが「仮置き案」が認められたのです。

「びっくりしましたがそのおかげで、場内に約60万立米の土を仮置きして、掘削した箇所に橋脚を構築し、上部工の業者さんに無事期限どおり引渡すことができました。そして平成29年11月に竣工を迎えました。5年10ヵ月という長期戦でしたが、最多で奥村組土木興業の社員18名、現場の作業員は1日約300名。本当に多くの人、力を結集して完成することができました。」

自分で判断できることなら、即答する。
それが人との信頼関係を強くする。

新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト5
新名神高速道路 川西インターチェンジ 建設プロジェクト6

高速道路のような大規模な現場では、施主であるNEXCO西日本以下、他の工事会社、場合によっては地元の住民などが関与し大所帯となる。その中でどのように人間関係を築いていくべきか、秘訣を川﨑に聞いてみた。

「現場の職員には『人に頼まれたら、自分の判断で出来ると思うことはその場でハイと返事をするように』と言っています。同じやるなら、そのほうが相手も気持ちがいいと思うからです。でも即答しにくい場合は私や上の者にすぐ伝えるようにも教えています」

川﨑はこの考え方を、川西ICの工事にも徹底するように指導した。

「奥村組土木興業の社員は、仕事に対してすごく真面目で、それが社風でもあると思っています。人が気を悪くするようなことはしない。自分も若い時、奥村組土木興業に入ってそう教わってきたし、その教えを守り仕事に取り組んできました」

川﨑も今では第一線を離れ、購買部長として勤務している。最後に、若い人たちに向けたメッセージをお願いしてみた。

「今は昔とちがい、休日はきっちり休めるようになってきています。だから仕事だけじゃなくて、私生活の中で何か喜び、楽しみを見つけることによって、より一層仕事に対して前向きに取組めるのではないかと思いますね」

新東名高速道路、新名神高速道路などの工事を担当してきた歴戦の勇士は、静かにそう語って話を終えた。

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